つぶれたたこ焼き屋の店主はどこへ行くのか
ある日、駅前のちいさな屋台風のテナントにたこ焼き屋ができて、たぶん1年を待たずして消えた。
生意気な言いかたになってしまうが、初めて見たときに
「あっ…このお店、ダメそう…」
そう思った。
まず手書きふうの看板が地味すぎたし、店主のおじさんがすごくおとなしそうで
ずっと伏し目がちだ。たこ焼きを焼くんだから伏し目がちなのは当然だろうと
思われるかもしれないが、焼いていないときもずっとうつむいている感じだった。
呼びこみの声を出しているところを見たこともない。
「いらっしゃい!」とか「ありがとうございました!」などの声が聞こえてきたことが一度もないのだ。
たこ焼きを焼く動作にもスピーディーさがなく、自信なさげに針の先でつついているように見えてしまう。
だが肝心なのは味だ。味がよさそうなら試しに買ってみようか、と鉄板をのぞいてみたのだが、
まずサイズが妙に小さいうえ、表面に張りがなくシナシナに見える…。
おまけに店舗の照明が寒色系(白い蛍光灯?)のせいか、お店の寒々しい印象と、たこ焼きの美味しそうに見えなさに拍車をかけている。
うっ…これは買う気が起きない…。
私はそそくさと立ち去り家路についた。
さらに駅に近い位置には見栄えも味もよいチェーン店があるのだ。この場所で生き残っていくのはかなり難しいのではないか…?
そのお店がつぶれて屋台が閉鎖されたとき思った。
あの店主にとっては人生を賭けて始めたたこ焼き屋だったのかももしれない。
はた目には元気がないように見えたけど、おじさんとしては精いっぱいの愛想をふりまいていたのかもしれない。パッと見しなびたようなたこ焼きも、研究に研究をかさね、味には自信があったのかもしれない。
でも結果としてお店はつぶれてしまった。
おじさんはどこかべつの場所で、べつの何かで、うまく生きていくことができているだろうか。
私はわりと何をやってもうまくいかないことが多いので、あまり流行らずにつぶれていくお店を見ると、その運営にたずさわった人たちのガッカリ感はいかばかりであろうか…、などとつい想像してしまう。
いまも日本のどこかで、人生を賭けたたこ焼き屋やラーメン屋が生まれて、うまくいったりうまくいかなかったりしているのかもしれない。